活動報告

活動報告

2019/7/8  雨の中、2019年第1回バーベキュー大会を楽しく開催、美味しいお肉に舌鼓

フェローシップ委員会(委員長 杉野由和氏)が主催した、2019年第1回バーベキュー大会が雨の中、

吉村会長ご出席のもと、6月15日に森屋正治さんの全面的ご協力のおかげで無事開催されました。

当日の参加者は、全員で16名でした。

大雨でしたが、森屋邸の巨大テントのお陰で雨も気にせず楽しく過ごせました。

2019年第1回の焼肉大会としては、趣味や仕事の情報交換から就職や将来の人生相談まで、

同郷だからこそ心通じ合う、豊かな時間を過ごすことができ、まずまずの出だしであったと思います。

参加役員からお酒やデザートの持ち寄りもあり、美味しいお肉と有意義な情報交換もでき、

雨にも関わらず楽しい一日となりました。

当日の和気藹々とした懇談の風景を紹介します

バーベキュー大会の様子

       

 

     

7月15日(土) 第9回県人会講演会、講演概要

東京岐阜県人会の恒例の夏のイベントとなっている第9回県人会講演会・懇親会が、去る7月15日(土)に都道府県会館1階の会議室で開催された。

 

所功先生のご講演に先立ち、吉村東京県人会会長より「この講演会は、暑い夏に開催する恒例のイベントであるが脱水症にならないように、お体を大切にしてください。今回のご講演は、大垣北高校の卒業で、この度の天皇陛下ご自身のご退位の表明について、一貫した発言をしておられる所功先生に、象徴天皇のお務めと高齢社会の在り方についてご講演をいただきます。」との挨拶があった。以下に、所功先生のご講演の概要を紹介する。

 

序、高齢化社会における生き方

皆様こんにちは。このような郷里ゆかりの席にお招きいただき、ありがとうございます。私は、大垣北高校11期の卒業で、揖斐川町の旧小島村の出身です。本日の話題は、高齢化の進む現代社会の中で、一体どのように生きていけば良いのかということを考える際、多少なりとも参考になればと思っております。

 私は昭和16年(1941年)の生まれですから75歳、いわゆる後期高齢者の仲間に入り、確かに歳をとったと感じるようになりました。1月に沖縄で遺骨収集のシルバーボランティアをした際に深い洞窟へ降りて腰を痛めたり、3月に風邪が治るまで1週間以上かかるなど、若い頃と違う衰えが歳と共に増えています。かつて長生きは人類の夢でしたが、今や必ずしも楽観できない状況にあると痛感しています。

 私の場合、大学を出てから、伊勢・東京・京都に半世紀近く勤めていましたので、70歳の定年後は郷里へ帰り、小中学校の9年間一緒に過ごした竹馬の友たちと地域のお手伝いをして暮らそうと考えていたのです。しかし、自動車の運転もできない老人が限界集落で生活していくのは難しいことが判り、5年前に娘家族の住む小田原へ転居しました。

 ただ、かねてから少しでも郷里に恩返しをと思いまして、10数年前から年二回勉強会を開いています。その一つは、3月春分のころ、大垣で恩師の稲川誠一先生を偲ぶ集い、もう一つは、9月秋分のころ、揖斐川町で先哲の広木忠信に学ぶ集いです。

 

1.高山出身の牧野英一博士と民法

 わがふるさと岐阜県は、教育熱心な伝統があると思います。その実例は、古代から美濃にも飛騨にもたくさんあり、近代以降も枚挙にいとまがありません。いま注目すべきは、高山出身の民法・刑法学者として文化勲章まで受章された牧野英一先生です。この方は、人間的にも学問的にも偉い人だと思いますが、今や忘れられつつあります。

およそ人間の社会で一番大切な存在は家庭であり、家族の在り方だと思われます。ご承知のとおり、戦後の日本では、戦前の様な大家族主義への反動として個人主義的な考え方がもてはやされてきました。しかし、昭和22年に改定された民法でも、家族制度を否定するほどに変わったわけではありません。この民法の制定に努力されたのが、当時貴族院議員(東大名誉教授)の牧野英一先生です。

牧野先生の努力された結果を見ますと、まず民法730条に「直系血族及び同居の親族は、互いに扶け合わなければならない」とあり、また877条に「直系血族及び兄弟姉妹は、互いに扶養をする義務がある」などと定められています。これによれば、親であれ兄弟姉妹であれ、個人として別の人格だから血族や親族も他人と同様に面倒を見ない、というような我儘は通らない、ということがはっきりしています。この条文によって、現在の家族とは何か親族とは何かを考え直す必要があると思います。

さらに、民法の897条で「系譜・祭具(神棚・仏壇など)及び墳墓の所有権は・・・慣習に従って祖先の祭祀を主宰すべき者がこれを承継する」と決められています。他の財産は均分相続を原則としていますが、祖先から受け継いだ神棚や仏壇・お墓などは、その家の祖先祭祀を主宰する者が一括して承継することになっています。

今から70年前、牧野先生が何故このような条文を民法に明文化されたのか、かなりの反対を押し切ってまでされたのか、その背景を考えてみますと、やはり飛騨高山で生まれ育ち、田中大秀の国学などを心の支えとしてこられたことが大きい、とみられます。それは人間として自然の考え方です。

人間は個人だけで生きていけない。お互いに助け合つてこそ生きていけるということは、どこでもそうだろうと思われます。それを何故か錯覚して、自分さえ良ければという利己的な観念から、結果的に孤独な悲劇を生んでいるのではないでしょうか。そうだとすれば、少子高齢化社会を心豊かに生きてゆくためにも、牧野先生のような「家族生活の尊重」という考え方を、今こそ大切にしなければならないと思います。

 

2.岐阜の「美濃菊」と「養老泉」

 最近、岐阜にちなんで関心を持っていることが二つあります。その1つが、羽島の「美濃菊」です。毎年秋に靖国神社へ菊を奉納する「菊花奉献会」というグループがあります。私は靖国神社崇敬者総代の一人として昨年その会長を頼まれたとき、岐阜県出身と申しましたところ、菊作りの名人から、「美濃菊の岐阜ですね」と言われました。お恥ずかしいことに、それまで私は美濃菊という菊があることすら知りませんでしたが、東京でも菊を愛する人々は、「菊といえば美濃菊」と賞賛されます。

そこで、ちょっと調べてみたら、興味深いことが判りました。 明治12年(1879年)ころ、羽島の太田正吾という少年(16歳)が、当時の美濃菊と京都の一文字菊とを交配して、今の様な「美濃菊」を作り上げたのだそうです。その美濃菊を、以前は誰も家で作っていましたが、最近は地元の羽島市でさえもあまり作られないようです。

 先日羽島の市長さんから聞いたことですが、昭和39年(1964年)東京オリンピックの年に東海道新幹線が開通した当時、羽島駅には「美濃菊」がいっぱい飾ってあったそうです。しかし、段々と作る人が減り、今では羽島駅にも菊の展示がありません。そこで地元の方々に呼びかけて、羽島駅などを「美濃菊」で飾りたいと頑張っておられます。

 そこで、私が夢に描いておりますのは、この「美濃菊」を秋の園遊会に飾ってもらうことです。赤坂御苑で催される秋の園遊会に菊を揃えるのは大変なことでして、それをお手伝いさせて頂けるようになればと念じています。

 さらに申せば、2020年に迎える第2回目の東京オリンピックとパラリンピックにも、この美しい「美濃菊」を大いに活用してほしいですね。昨年から、入賞者に表彰式で渡すブーケも菊を採用してほしいと言っているのですが、これは既に他の花と決まっているようです。そうであるならば、プレスセンターや各競技場に「美濃菊」を並べて飾れば、その美しさを世界に発信することができるのではないかと思っています。

 この「美濃菊」を栽培するにも大変な手間を要しますが、かつて私の母や近所のお年寄りは、それを老後の楽しみとして毎年根気よくやっていました。それを通りすがりの人々に観て喜んでもらえることが嬉しかったようです。好きで取り組むことが、周りの人にも喜んでもらえることに繋がる。そのような高齢化社会の在り方を願っています。

 もう一つは、養老町で取り組み中の養老改元1300年祭です。なぜ「養老」という年号ができたのかと言うと、元正天皇という女帝が、霊亀3年(717年)38歳の時、美濃の多度山麓で湧き出る「美泉」の評判を伝え聞かれて、奈良の都から当地へ行幸され、その泉水により若返ることができたと喜ばれ、時の元号「霊亀」を「養老」に改元されたからです。これが「養老泉」であり、まさに老いを養い若々しさを保つ銘水として歴史的な由緒がはっきりしています。

そこで、これを地域おこしに活用しようとして、5年前から色々な準備をして来られました。その初回に招かれて「元正女帝の美濃行幸と養老改元の画期的意義」と題する講演をさせて頂いたことがあります。その際、一般によく知られている「養老孝子伝説」のもつ意義にも触れました。(全文を私のHP「かんせい汗青PLAZA」、tokoroisao.jpに掲載)

美濃地方には親や年寄りを大事にする風習があり、だからこういう伝説が生まれ広まったのでしょうか。だとすれば、このことは岐阜県で道徳教育にも大いに取り上げてほしいと思います。

 

3.象徴天皇の重要なお務め

 高齢化社会の現象は、皇室も例外ではありません。昭和8年(1933年)12月生まれの今上陛下は満83歳、幸い皇后陛下と共にお元気であられますが、即位以来すでに30年近く、天皇としての務めを全力で果たしてこられました。それは、青壮年ですら大変ハードなお仕事の連続です。

陛下がやってこられ、現に続けておられるお務めは、大きく分けて3つあります。

1つは、憲法に定められる国事行為。これは12項目示されています。

2つは、象徴にふさわしい公的行為。これは大変に沢山あります。

3つは、皇室に伝えられる祭祀行為。これがいわゆる宮中祭祀です。

これ以外にも、個人的に励まれる私的行為として、ご修学やご研究などがあります。

このうち、まず一つ目の、憲法に定められる「国事行為」は、天皇単独のお務めです。例えば、総理大臣は国会で指名されますが、全国民の代表として天皇陛下が任命されます。また、外国の大使・公使が着任すると、自国の元首から預かってきた信任状を天皇陛下に捧呈します。これを受け取られるのも国事行為です。

ついで、三つ目の天皇の「祭祀行為」は、あまり知られておりませんが、古来千数百年にわたり行なわれてきた祖先や自然を大切にする宮中の伝統的なお祭りです。年間20回以上ありまして、そのお祭りが大変なのです。たとえば、1123日の新嘗祭は、お米と粟のご飯などを神々に供え、自らも召し上がられるのですが、夜中に2回、合計4時間近くも正座して行われます。

さらに、もっと大変なお務めは、二つ目の象徴たる天皇としてふさわしい「公的行為」です。これは定義がありません。現行憲法で「天皇は日本国の象徴」と定められており、これは国事行為をすればよいのですが、もう一つ「日本国民統合の象徴」と書かれていますので、今上陛下は国民大多数が天皇を象徴として理解し信頼してくれるような公的行為を実践しなければならない、と常に考えてこられました。

そのため、様々な来訪者と、会われるだけでなく、積極的に自ら全国各地へも外国にも出かけられ、いろんな務めを果たしておられます。

これにより、人々がどのようなことを望んでいるかを受けとめられ、それぞれ良く頑張ったり、深い悲しみ苦しみに沈む人々のために何をしたらよいかを感じとり、自分はどうあらねばならないのかを常に考えておられるのです。

 

4.「高齢譲位」の望ましい在り方

では、今後どうしたら良いのか。普通に思い付くのは、憲法にも皇室典範でも定められているとおり、心身に不都合が生じた天皇の代理として「摂政」を置くとか、海外などへお出ましになられる時は国事行為を「臨時代行」に任せることが、法的に可能となっています。ですから、いずれそうされるだろうと誰もが思い込んでいました。

ところが、そうではありません。象徴たる天皇は、その地位にあるかぎり天皇としての務めを本人がすべきであって、それが難しくなったからといって、皇太子に代わってもらうとか、他の皇族に助けてもらうことでは、天皇の地位にいる意味がない。だから、自分で出来なくなる前に次へ譲るべきだ、というのが今上陛下のご信念なのです。

そのご意向は、昨年88日のビデオメッセージに示唆されており、それを承って、大多数の一般国民が理解と共感を示しました。そこで、政府も対策をとることになり、ようやく今年6月初め、衆参両院で出席者全員が賛成して「天皇の退位等に関する皇室典範特例法」と付帯決議が成立するに至りました

しからば、これからどうなるかです。ご譲位の時期について私の試案を申せば、平成31年(2019年)17日が昭和天皇の30年祭であり、また223日が皇太子殿下のお誕生日ですから、それまでの間(又は年度末)が良いと思います。さらに年号=元号は、早めに内定して発表し、新天皇のもとで41日から実施しても良いと考えております。

 

5.皇室と国民との相互関係

このような皇室問題は、われわれ一般国民と無関係でありません。それどころか、不可分の関係にあると考えられます。

例えば、我々は海外旅行にパスポートを持っていきますが、あのシンボルデザインは戦前戦後も「菊の御紋章」です。「日の丸」ではありません。

また、海外へ行かれたら判りますが、日本の大使館・公使館の玄関には菊の御紋章が刻まれており、応接間には今の両陛下の御写真が掲げられています。さらに、在外公館では毎年「天皇誕生日」のころに公式のパーティが開かれ、各国の要人がお祝いに来てくれます。これにより、天皇は日本国を代表されている元首に相当することが、むしろ海外でよく知られております。

われわれの日本には、外国にないものとして、千数百年も続いてきた皇室が現存します。このことのもつ意味は極めて大きいのです。それをきちんと理解した上で、それが今後も続けていくようにするのは、われわれ日本国民として当然の務めであろうと思われます。

最後に一つお知らせですが、今秋1021日から来年114日まで、明治神宮の文化館で「近代の御大礼と宮廷文化」という特別展覧会を開催いたします。

また1020日には、明治神宮会館ホールで、東儀秀樹さんの雅楽なども予定しています。ご都合よろしければ、多くの方々にご覧いただきたいと思います。

 

6.参加者との質疑応答

Q:今回譲位が行われ、もし30年後、再び譲位皇位継承になると、どのようなことが考えられますか。

A:これは、率直にいって難しい問題です。5歳しか離れておられないご兄弟がどのようにバトンタッチされていくかです。今の皇室典範は皇族間の養子を認めていませんが、今後それも改正すれば、いろいろ知恵が出てくると思われます。

 

Q:天皇は男帝だけでなく女帝も可とお考え方だと思いますが、その場合、男女平等とお考えでしょうか。

A:人間社会は男性と女性から成り立っており、男系だとか女系だとかいうことに、殊さらこだわる必要はありません。大事なことは、神武天皇のご血縁子孫と認められて、現在皇族の身分にある方が「皇統」を継がれたらよろしいのです。

   ただ、日本だけでなく多くの国々で、王統は男性が中心の男系として継いできた慣例がありますから、それを続けることが可能なら続けた方がよいと思います。しかし、将来そういかない事態になれば、女性に中を継いでもらえればよいのです。

日本の皇統は男系が原則であれ、それが必ずしも原理ではありません。原則ですから、例外もありえます。私は基本的に、男子を優先することがよいにせよ、女系も女帝も排除したり否定すべきでないと考えています。

 

Q:天皇家の教育は、過去どのように行われ、今後どのようになるでしょうか。

A:皇室では古来、その時代における最先端の学問を最も早く、最も深く吸収し活用してこられました。しかも、それ以上に一貫して日本的な和歌を学び詠んでこられました。

  近代に入りますと、明治天皇も昭憲皇后も日本の国学と中国の儒学と西洋の哲学と、この三分野をしっかり学ぶことを、殆ど日課のごとく続けて来られました。

  また昭和天皇の場合も、幼少の頃から厳しい躾をされ、また学習院初等科を卒えてから、特設の東宮御学問所で5名の学友と7年間徹底的な特別教育を受けられ、さらに摂政時代も即位されてからも常時勉学を続けてこられました。

さらに今上陛下は、中等科の頃から小泉信三先生を東宮職の特別参与として十数年間にわたり特別教育を受けられました。これは非常に大きな意味をもっています。

   それが今の皇太子殿下や秋篠宮殿下になると、これまでのようにできないため、今の両陛下がいろいろ工夫し努力してこられました。悠仁親王についても、これから力を入れてほしいと思います。

 

Q:譲位される天皇陛下のお住まいとして、京都の仙洞御所の活用は如何でしょうか。

A:今上陛下は、なるべく国民に負担をかけないようにとのご意向が強いため、現在の御所に新天皇が入られ、両陛下が東宮御所へ戻られます。それに伴って皇嗣の秋篠宮邸が手狭になることから、拡張工事に着手されているようです。

   お尋ねの京都には、大宮御所があり、また京都迎賓館もあります。けれども、ご譲位後の上皇と上皇后は、やはり新天皇のお近くにおられることが望ましく、常時京都でお住まいになることは不可能であり不適切だと思います。

ただ、皇室ゆかりの施設や名所をゆっくりご覧になられ、しばしばお出かけになれる機会を増やされたらと念じております。  

しかも、それ以上に強く願っておりますのは、新天皇の大嘗祭を、大正や昭和の時と同じく、京都の仙洞御所跡地で実施してほしいということです。

即位礼は、内外の代表者数千人を招いて昼間盛大に行う儀式ですから、東京の宮殿がふさわしいとしても、大嘗祭は数百人以下が参列して夜中に行われる厳粛な祭紀ですから、むしろ伝統ある京都の方がふさわしい、と考えられるからです。

 

脚注:

1.広木忠信(文蔵)は、元禄元年(1688年)ころ揖斐城下の三輪で生まれ、享保15年(1730年)この地で亡くなりました。その間、京都で山崎闇斎の学風を継ぐ若林強斎に学び、私塾「望楠軒」の塾頭を務め将来を期待されていましたが、母上に孝養を尽くすため帰郷して、医者をしながら学問に励んでいます。師匠の祭文(弔辞)などによれば、実に志の高い心をもつ優しい人格者であったことが分かります。

 

2.稲川誠一先生は、昭和23年(1948東京帝国大学文学部国史学科卒業、同大学院に進学。同32年から長らく岐阜県立大垣北高等学校教諭をつとめ、のちに聖徳学園岐阜教育大学講師・助教授・教授に昇進。日本中世史を専門とし、『新修大垣市史』の中世部分を担当。日本教師会会長などを歴任しておられます。

 

3.「牧野英一博士」:

 ・明治11年(1878)高山出身、昭和45年(1970年)92歳で没

・民法・刑法学者(穂積陳重博士の門人)、東大名誉教授、文化勲章受章

・昭和22年、改正民法(家族法・相続法)に貢献。『家族生活の尊重』(有斐閣) 

 

4.「美濃菊」:

 ・キク科の1種コギクの園芸品種

 ・特徴は、蓮に似た大輪で、広幅花弁の

八重咲き、帆立花弁が整然と並ぶ

(出典:wikipediaより)

 

美濃菊

 

 

5.「養老泉」:

 ・元正天皇(女帝 680748年)が38歳の910日美濃に行幸、翌年27日に再幸

・養老泉、養老滝への行幸を通じて、元正天皇が霊亀三年を養老元年に改元

・養老泉の地には、鎌倉時代の古今著聞集に「養老孝子伝説」があり、親孝行の教訓として語り伝えられた

 

所先生のご経歴

 

昭和161941)年1212日 岐阜県揖斐川町生まれ(現在、神奈川県小田原市国府津在住)。

岐阜県立大垣北高等学校、名古屋大学文学部国史学科卒業、同大学院文学研究科修士課程修了。法学博士(慶応大学・日本法制文化史)皇學館大学助教授、文部省初等中等教育局教科書調査官(社会科日本史)を経て、同56年から京都産業大学教授(教養部→法学部・日本文化研究所)

平成244月より京都産業大学名誉教授、モラロジー研究所研究主幹・麗澤大学客員教授、皇學館大学特別教授など。

今春から、京都宮廷文化研究所代表。

近著「象徴天皇「高齢譲位の真相」」(ベスト新書)など





2017/8/29 平成29年度 第1回理事会報告

開催日時 平成29年8月29日(火) 18:00から
場所   千代田区平河町 都道府県会館4階 402会議室
1.会長挨拶
2.平成28年度事業実績及び平成29年度事業計画(案)、平成28年度収支決算及び平成29年度収支予算(案)、役員の選任(案)などが審議されました。
3. 会費未納等会員の退会手続き(案)について審議されました。
4.  第9回東京岐阜県人会講演会・懇親会(象徴天皇のお務めと高齢社会の在り方
 講師:皇室制度文化史研究者 所 功様(京都産業大学 名誉教授)の開催実績が報告されました。
5.  平成29年度定期総会・懇親会(案)について審議されました。
6.  その他 
   会員の増加対策の実施、親睦活動の充実、ホームページの充実、会報誌ギフネット68号の発刊、レディースクラブの活動などについて、活発な意見交換が行われました。




2017/07/25 平成29年度 第1回幹事会報告

開催日時 平成29年7月25日(火) 18:00から20:00まで
場所   千代田区平河町 都道府県会館4階 410会議室
 
1.会長挨拶
2.平成28年度事業実績、平成29年度事業計画(案)、収支決算、収支予算(案)、役員の異動等選任(案)などが審議されました。
3.  第9回東京岐阜県人会講演会・懇親会(象徴天皇のお務めと高齢社会の在り方
 講師:皇室制度文化史研究者 所 功様(京都産業大学 名誉教授)の開催実績が報告されました。
4.  平成29年度定期総会・懇親会(案)について審議されました。
5.  各委員会委員長からの報告 
   会員の増加対策、親睦活動、ホームページの充実、会報誌ギフネット68号の発刊、レディースクラブの活動などについて、24名の方が出席して、白熱した意見交換が行われました。





2017/1/25 平成28年度 第2回東京県人会幹事会/新年懇親会開報告催 報告

開催日時 平成29年1月25日(水)18:00~20:30
開催場所 東京海上日動ビル本館24階談話室
出席者  吉村会長、山本幹事長他、幹事事務局29名が出席

開会に先立ち、会場を提供いただきました東京海上日動火災保険㈱の地方
創生室磯田担当部長より、同社と岐阜県との繋がりについてご紹介がありました。
吉村会長より開会のご挨拶があった後、山本幹事長が議事を進行しました。

1.平成28年度総会・懇親会の開催結果について、総務企画委員会より参加総数
 約250名、特別ゲスト リオ・オリンピック競泳女子平泳ぎ200m金メダリスト
 金藤選手並びに加藤コーチから 金メダル獲得の報告があり、出席者全員に
 大野町の富有柿、関市の爪切り、山県市の美山の北山茶、揖斐川町の美濃揖斐
 茶、八百津せんべい、長良川鉄道一日乗車券など県内各市町から提供のお土産
 を配布など、報告がありました。
2.平成29年度夏頃に開催する第9回講演会について、講師候補や開催場所につい
 て意見交換がありました。
3.フェローシップ、親睦、広報、レディース倶楽部等の常設委員会から、会員増
 加活動、春秋のゴルフ界、4月刊行予定ギフネットの編集状況など、今後の活
 動内容について報告と意見交換が行われました。

議事審議終了後、谷口副幹事長より乾杯のご発声があり和やかな懇談による親睦
を深めました。

 

 

第2回東京県人会幹事会の様子

   



2016/12/04 平成28年度 総会・懇親会開催の 報告

 

 

開催日時 平成28年11月16日(水) 18:00から18:30まで

開催場所 東京都千代田区飯田橋1-1-1 ホテルグランドパレス チェリールーム

 

1.会長挨拶

2.平成27年度事業実績及び平成28年度事業計画が審議承認されました。

3. 平成27年度収支決算及び平成28年度収支予算が審議承認されました。

4. 役員の選任が行われ再任、新任、継続の方々が承認されました。

平成28年度岐阜県人会総会に引き続き、懇親会が開催され、

吉村会長の開会の挨拶に続き、古田県知事より県政の紹介をまじえた来賓のご挨拶をいただきました

今年は、リオオリンピック・パラリンピック開催の年でもあり、このオリンピック

水泳平泳ぎで金メダルに輝いた金藤選手と加藤コーチが来賓として、これまで

の努力の一端と岐阜との関わりについてスピーチされ、金メダルの紹介と共に懇

親会に大きな華を添えられました。

因みに、金藤選手は岐阜県瑞穂市で水泳指導に従事されています。

  



2016/8/29 平成28年度 第1回理事会報告

 

開催日時 平成28年8月29日(月) 18:00から20:00まで

場所   千代田区平河町 都道府県会館4階 401会議室

 

1.会長挨拶

2.平成27年度事業実績、平成28年度事業計画(案)、収支決算、収支予算(案)、役員の選任(案)などが審議され、

  平成28年度定期総会に提案することが決まりました。

3. 会費未納会員対象者38名の退会手続き(案)について審議され、平成28年度定期総会への提案が決まりました。

4. 第8回講演会・懇親会(NO LIMIT ~限界という壁を越えて~ 講師:登山家 栗城史多様)の開催実績が報告されました。

5. 平成28年度定期総会・懇親会(案)について審議され、11月16日(水)18:00から九段下のホテルグランドパレスで開催することが決まりました。

   会員の高齢化傾向もあり女性や若手会員の増加対策、講演会の講師候補などについて、委任状を含め101名の参加により、意見交換が行われました。

講演会報告

2016/07/27 平成28年度 第1回幹事会報告

 

開催日時 平成28年7月27日(水) 18:00から20:00まで

場所   千代田区平河町 都道府県会館4階 408会議室

 

1.会長挨拶

2.平成27年度事業実績、平成28年度事業計画(案)、収支決算、

    収支予算(案)、役員の選任(案)などが審議されました。

3. 会費未納会員の退会手続き(案)について審議されました。

4. 第8回講演会・懇親会(NO LIMIT ~限界という壁を越えて~ 

    講師:登山家 栗城史多様)の開催実績が報告されました。

5. 平成28年度定期総会・懇親会(案)について審議されました。

6. 各常任委員会委員長からの報告 

   会員の増加対策、ホームページの充実、レディースクラブの活動などについて

   25名の方が出席して、白熱した意見交換が行われました。



講演会報告

2016/07/20 第8回東京岐阜県人会講演会・懇親会を開催しました。

 

7月2日(土)、第8回東京岐阜県人会講演会・懇親会が都道府県会館で開催されました。

登山家の栗城さんをお招きして、登山家を目指したきっかけ、凍傷で指を失ったにもかかわらず、

父親の愛情により、再び登山家を目指すことになったことなど、ご講演をいただきました。

詳細は、今秋号のギフネットに掲載する予定です。



講演会報告

2016/01/20 平成28年度 幹事会報告

 

開催日時 平成28年1月20日(水) 18:00から20:00まで

場所   千代田区丸の内 東京海上日動ビル24階談話室

 

1.会長挨拶

2.各常任委員会委員長からの報告 

   27年7月講演会・11月総会懇親会について

   22名の方が出席して、白熱した意見交換が行われました。

   夏の講演会及び総会・懇親会の日程について議論が交わされました。


上記次第終了後は、宴席で親睦を深めました。



幹事会報告幹事会報告

2015/11/22 平成27年度 総会・懇親会開催の 報告

 

11月18日(水)東京九段のホテルグランドバレスで平成27年度総会懇親会が開催されました。

岐阜県副知事、岐阜県議会議長、地元選出国会議員、地元市町村長など多くのご来賓を迎え、

地元出身の「流れ星」をゲストに、200余名の参加を得て盛大に開催されました

 



2015/09/06 平成27年度 第1回東京岐阜県人会 理事・評議員・監事合同会議 報告

日時:平成27年8月26日(水)

18時00分~      

場所:都道府県会館 402会議室

 

 

1  開会挨拶    (吉村会長)

 

2 議  案 

 (1)平成26年度事業実績および平成27年度事業計画(案)について

 (2)平成26年度収支決算および平成27年度収支予算(案)について

 (3)役員の選任について(案)

 (4)会費未納会員の退会手続きについて

 (5)第7回東京岐阜県人会講演会・懇親会実施報告について

 (6)平成27年度東京岐阜県人会総会及び懇親会について

 (7)その他



2015/07/16 第7回 東京岐阜県人会講演会・懇親会報告

2015東京岐阜県人会幹事会報告

第7回 東京岐阜県人会講演会・懇親会

日時 平成27年7月11日(土)14:00~17:00

場所 駒沢大学 深沢キャンパス 洋館大ホール

次      第

挨拶(吉村会長)

第1部 講演「NHK人気番組、あさイチの裏側」

  NHKアナウンサー  有働由美子 氏

第2部 講演「わが国の少子化を考える」

  東京岐阜県人会会長  吉村泰典 氏

【司会:山本幹事長】

2.懇親会(15:30~17:00)

挨拶(吉村会長

乾杯

中締め

【司会:八木委員長】

2015東京岐阜県人会幹事会報告


2015/02/03 第12回「在京岐阜サミット」報告

1

 日時 平成27年6月30日(火)18:00~

場所 都道府県会館 会議室

次 第

(1)会長挨拶

(2)各会の現状報告

(3)質疑応答

(4)県人会加入促進策についての意見交換

引き続き懇親会を開催大いに盛り上がりました!



「在京岐阜サミット」 参加者名簿 

会員の
種別
氏  名 団  体 名 団体
役職名
各会代表 中島 幸宣 茗友会
*(財)岐阜県学寮の同窓会
寮 長
石黒 廣洲 中津高校 同窓会関東OB会 会  長
加藤 祐一 関高校 同窓会東京支部 顧 問
熊﨑 勝彦 東京益田会 会  長
松井 茂久 岐阜商業高校 同窓会関東支部 支部長
細江 孝雄 東京飛騨会 会  長
田中 範弥 東京有斐会 会 長
小栗 清吾 瑞浪高校 首都圏同窓会 会  長
後藤 博俊 武義高校 東京古城会 会  長
堀内 喜司夫 関東飛騨市会 会  長
尾関 良平 在京(首都圏)岐阜高校同窓会 会  長
大石 アケミ 大垣北高校 関東同窓会 会  長
東京岐阜県人会 吉村 泰典 東京岐阜県人会 会長
山本 康夫 東 京 岐 阜 県 人 会 幹事長理事
杉野 由和 東 京 岐 阜 県 人 会 フェローシップ委員長
浅野 博幸 東 京 岐 阜 県 人 会 フェローシップ副委員長
八木 茂樹 東 京 岐 阜 県 人 会 総務企画委員長
玉腰 徹 東 京 岐 阜 県 人 会 親睦副委員長
松井 茂久 東 京 岐 阜 県 人 会 広報委員長
原田 英明 東 京 岐 阜 県 人 会 広報副委員長
田口 裕視 東 京 岐 阜 県 人 会 青年部委員長
岐阜県 三田村 俊史 岐阜県東京事務所 所 長
岐阜県 前田 寛徳 岐阜県東京事務所 課 長
岐阜県 岡部 浩司 岐阜県東京事務所 係 長
岐阜県 大向 英輝 岐阜県東京事務所 主 任

2015/02/03 平成26年度 第2回東京岐阜県人会幹事会報告

2015東京岐阜県人会幹事会報告

 

日時 平成27年1月27日(火)18:00~

場所 ルポール麹町「ピアッツァ」(千代田区平河町)   

内容 吉村会長のご挨拶、山本幹事長の乾杯で始まり、

   その後、各委員長より活動状況の報告がありました。

初めて参加される幹事とともに、大いに盛り上がりました。



2014/12/06 平成26年度東京岐阜県人会総会・懇親会開催される

2014懇親会 2014懇親会 2014懇親会




 

さる平成26年11月18日(火)東京九段下のホテルグランドパレスにおいて

平成26年度東京岐阜県人会総会・懇親会が開催されました。

午後6時からの総会は、この10月10日に松田隆利前会長から急遽バトンを

受け継いだ吉村泰典新会長の抱負を交えたご挨拶から始まり、

昨年度の事業及び決算の報告、今年度の事業計画及び予算、大幅に

増員された役員の就任が承認され、滞りなく終了しました。

午後6時30分からの懇親会には、古田肇岐阜県知事、洞口博岐阜県議会議長はじめ

岐阜県選出国会議員や大勢の地元市町村長等をお迎えし、

総勢240名を超える来賓、会員の参加を得て盛大に開催されました。

古田知事からは地元の頑張っている様子を交えたご挨拶を頂き、洞口議長の乾杯で開会し、

途中地元出身のピアニスト加納裕生野さんの演奏を楽しみながら、会は進行しました。

今年も飛騨牛をはじめ地元の食材を使った料理や地酒がふんだんに用意され、

秋の夜長にふるさとを思い出しながら、たまの再開を楽しんで大いに盛り上がりました。



2014懇親会 2014懇親会 2014懇親会

2014/09/28 平成26年度第1回 岐阜県人会 理事・評議員・監事合同会議 開催報告

      

日時 2014年8月25日 (月)18時~

場所 都道府県会館  会議室   

参加者 38名

      名誉顧問、名誉会長、会長

      副会長 2名

      幹事長、特別顧問

      理事(20名)、監事(1名)、評議員(5名)、

      オブザーバー 2名(ぎふプロジェクトネットワーク)

      事務局 3名

      

      

1.会長挨拶:松田隆利氏

   会議への参加への労をねぎらう挨拶と現職から内閣府参与就任の報告   

  幹事長挨拶:山本康夫氏 

   初めて参加する理事、評議員の紹介

2.議案 

 1)平成25年度事業実績および平成26年度事業計画(案)について

 2)平成25年度終始決算および平成26年度収支予算(案)について

 3)役員の専任について(案) ※第3号議案

 4)会費未納会員の退会手続きについて      

 5)第6回東京岐阜県人会講演会・懇親会実施報告について

 6)平成26年度東京岐阜県人会総会および懇親会について     

※審議事項に関しては、全て「異議なし」の会議であったたため、

 1時間強で終了しました。

 



2014/08/01 平成26年度 第1回東京岐阜県人会幹事会報告

日時 平成26年7月31日(木)18:00~

場所 都道府県会館  会議室   

議  題

(1)平成25年度事業実績、平成26年度事業計画(案)について

(2)平成25年度決算、平成26年度予算(案)について

(3)役員の選任(案)について

(4)会費未納会員の手続き資格について

(5)第6回県人会講演会・懇親会実施報告について

(6)平成26年度総会・懇親会について

(7)各委員会の活動状況について

(8)その他


幹事会終了後、引き続き「西濃運輸優勝祝勝会兼暑気払い」を開催

大いに盛り上がりました!



2014/07/23 平成26年度 東京岐阜県人会 夏のイベント報告

テーマ:「江戸城天守を再建し、観光立国のシンボルタワーに!」

去る平成26年7月12日、午後2時から豊島区駒込にある女子栄養大学駒込キャンパス小講堂において、 太田道灌の18代目子孫・太田資暁(すけあき)氏をお招きし、「江戸城天守閣再建」と題した講演会が開催されました。 歴史好きにはたまらないテーマで、気温35度という猛暑にもかかわらず多数の会員が参加し、講演に引き続き開かれた 懇親会もなごやかに行われました。


夏の恒例イベントとなった講演会。今年は、山本康夫幹事長の会社の先輩にあたる太田資暁氏を講師に迎えた。 太田氏は、(株)東京海上火災保険の専務取締役、(株)東京海上日動あんしん生命保険の社長などを歴任され、 現在は「認定NPO法人江戸城天守を再建する会」の会長である。ちなみに、太田道灌の諱(いみな)が資長(すけなが) であったことから、太田家では代々、「資」という字をつけてきたそうだ。以下は講演の要旨。



   「江戸城築城にいたる背景」

太田道灌は徳川家康より150年ほど前の人だ。永享4(1432)年、鎌倉公方を補佐する関東管領・上杉氏の一族である扇谷(おおぎがやつ)上杉家の家宰をつとめた太田資清の子として生まれ、幼少より鎌倉五山の一つである建長寺に預けられ英才教育を受ける。人生で三十数度の戦いにおいて一度も負けたことが無いというからすごい。

15世紀の関東は乱れに乱れていた。鎌倉公方には神奈川・東京・埼玉・群馬の諸将が付き、古河公方(こがくぼう)には茨城・埼玉・栃木・千葉の諸将が付く。関東には2つの政権が並立していたわけだ。そもそも足利尊氏により関東公方という独立政権が作られたのが混乱のもとなのだが、1450年代の関東では、京都は関東管領(上杉氏)を使い、その関東公方(足利氏)の暴走を抑えようとした。

関東管領・上杉氏は山内家・犬懸家・宅間家・扇谷の四家(いずれも鎌倉の地名)に分かれていたが、上杉禅秀の乱以降、山内上杉家が関東管領職を独占。その山内家を支えるのが、太田氏の主君である相模の守護・扇谷上杉家であった。太田道灌は1456年に家督を譲られて以後28年間もの間、享徳の乱を戦い抜くのだ。

家督相続問題でもめ続ける上杉氏。幕府から攻められた足利成氏が下総古河城に拠り古河公方と称すると、上杉氏に反感を抱く関東の諸将の支持を集め、結果、関東地方は利根川を境界線として、東は古河公方陣営、西は京都の意を受けた関東管領陣営に分断される。

太田道真・道灌父子は古河公方と闘うための防衛拠点として、扇谷上杉家当主の命で1456年~57年、武蔵国入間郡に川越城、埼玉郡に岩槻城を築いたといわれている。さらに、古河公方側の有力武将・千葉氏を抑えるために、両勢力の境である利根川下流域に城を築く必要があったので、江戸氏の領地であった武蔵国豊島郡に江戸城を築いた。

江戸城が完成してから、品川より居を移したのは、長禄元年4月8日(1457年5月1日)といわれる。江戸城が築かれると、その守護として日枝神社や平河天満宮などを城の周辺に配したのである。

現在も皇居には彼の名を冠した道灌堀が残っているのは有名だ。筆者も今年、天皇陛下傘寿記念の皇居乾通りの通り抜けの際、道灌堀を垣間見た。


      「万里集九との交流と道灌の最期」

道灌は詩歌の道にも秀で、山吹の歌などは誰もが知る逸話だが、飛鳥井雅親や万里集九など当代一流の歌人・漢詩人との交流も有名だ。万里集九(1428~1507?)は京の相国寺の高僧。万里は道号、集九は諱だ。室町時代の禅僧で、当代一、二を争う漢詩人として知られたが、地方で還俗し、応仁の乱を避けて文明3年(1471)年には美濃国の鵜沼に住んだ。長男・次男は美濃で生まれているので、

岐阜県とはご縁があるわけだ。その後、尾張や三河に移り、文明17(1485)年には太田道灌に招かれて江戸城に滞在した。その際、所蔵の名画や六千冊にものぼる蔵書に驚いたといわれている。彼は城内に住居を建て、「梅花無尽蔵」と名付けた。現在の皇居の梅林坂のあたりである。

ところが翌文明18年7月26日(1486年8月25日)、道灌は上杉定正の糟屋館(神奈川県伊勢原市)に招かれ、風呂場で曽我兵庫に暗殺される。享年55歳。その背後にはもちろん関東管領・上杉定正がいた。そもそも道灌は享徳の乱で三十数度の合戦を戦って連戦連勝、ほぼ独力で上杉家の危機を救った。おかげで主家の扇谷上杉家の勢力は大きく伸長したわけなのだが、(「太田道灌状」で彼は「山内家が武・上の領国を支配できるのは、私の功である」と自身、述べている。)

道灌が関東を抑えたのを定正から妬まれての謀殺であったのだ。(扇谷家中が江戸と川越の城の補修を怪しんで定正に讒言したという説もある。)道灌のいまわの際の言葉は「当方滅亡」で、それは「こんなことをやっていたら、今に上杉家は滅亡しますよ!」という意味。その後の歴史は彼の予言が正しかったことを証明している。

前述の万里集九はしばらくの間、定正に引き留められるが、親しい道灌を謀殺した定正の世話にはなりたくなかったのだろう、1488年、早や江戸を発ち、越後・飛騨を越えて美濃国鵜沼の旧宅に帰った。3年9か月の大旅行だった。そして後に有名な詩集「梅花無尽蔵」を編纂する。集九は後年、定正に追われた道潅の子、太田資康を見舞っている。その人柄が偲ばれるゆえんである。


   「江戸城寛永度天守の再建」

 さて、時代は下る。江戸城の天守閣は、慶長11(1611)年に徳川家康が、元和8(1622)年に二代・秀忠が、寛永15(1638)年に三代・家光がそれぞれ築いた。ところが、太田道灌が江戸城を築いてからちょうど二百年後の明暦3(1657)年の大火で天守閣は消失する。

「振袖火事」ともいわれる明暦の大火では、当時の江戸の人口50万人のうち10万人以上が犠牲になり、江戸の町の大半が焼き尽くされたが、江戸城もその例外ではなかった。この未曾有の災害に対処すべく陣頭指揮をとったのが3代将軍家光の異母弟で、4代将軍家綱の後見役・保科正之だが、彼は「今は天守閣再建の為に国の財産を費やす時節ではない」として、被災者の救済、民生の安定と、江戸市街の災害復興を最優先した。江戸城天守は江戸幕府の権威・権力の象徴であったのだが、

その再建は先延ばしにされたのである。この英断が、その後200年にわたる江戸期の社会の平和と安定の礎となり、元禄から文化・文政期にかけて江戸文化が大輪の花を開くことになった。


   「江戸城天守閣を観光立国日本の首都東京のシンボルに」

爾来約360年。太田資暁さんは「江戸城天守の再建の時節は今まさに到来した!」と力説する。「なぜなら、観光立国実現は日本の国家的課題だからです。」

現在の日本の国際旅行収支の赤字幅はなんと世界第2位。海外からの旅行客収入は世界第30位前後で低迷している。少子高齢化社会の閉塞状況を打ち破り、経済成長を続けるアジアの観光需要を取り込むのが喫緊の課題だ。2006年、国は「観光立国推進基本法」を制定したが、観光立国実現が日本の発展に不可欠なのは誰にでもわかる。そのためには、日本の魅力的な文化・伝統・技術についての情報を積極的に海外に発信していくことが求められている。

江戸城寛永度天守は、姫路城の面積で2倍、体積で3倍の規模。日本で最も壮大な木造建築の最高傑作であったといわれている。のみならず、姫路城と同じ木組みの柔構造による耐震建築技術は、法隆寺の五重塔の心柱と並んで、地震国日本が誇る伝統の技として注目に値する。

「世界の大都市には、ロンドンのバッキンガム宮殿、パリ郊外のヴェルサイユ宮殿、北京の紫禁城、ニューヨークの自由の女神など、歴史と伝統と文化の象徴というべきモニュメントがありますが、東京にはそうした記念碑がありません。観光立国日本の首都東京に江戸城天守を再建することは、歴史と伝統を代表するとともに、クールジャパンで世界を魅了する新たな日本の文化と技術を発信するためのシンボルタワーを建設することにもなるのです。」と太田さんは熱弁をふるう。

「2002年ドイツ連邦議会は、第二次世界大戦で破壊されたベルリン王宮の再建を決議しました。首都の中心に歴史的建造物を記録に忠実に再現し、未来志向の文化施設とする考えに、ドイツ人のコンセンサスが得られたのです。」

と太田さん。同様なことはポーランドの首都ワルシャワの旧市街にもいえるわけで、瓦礫から昔のまま忠実に再現されたそれは、今やユネスコから世界遺産として認定されている。こうした歴史的建造物の再建と、それに新しい息吹を吹き込もうとする動きは、今や世界の潮流となっているようだ。

「まずは日本橋の真上を覆う首都高速道路を取払い地下に移して、東京駅・日本橋・江戸城という都心のトライアングルを築くのです。」

と太田さんの弁はますます熱くなってくる。江戸城天守を再建した場合の費用は350億円といわれるが、推定される経済波及効果は1043億円、雇用誘発効果は8240億円、初年度収入は70億円がみこまれている。ちなみにベルリン王宮の再建費用は700億円、スカイツリーの1年目の入場者数は638万人、

東京タワーの1年目の入場者数は520万人だ。近年再建された熊本城が大いに話題となり、地域経済活性化に一役買っていることは私たちの記憶に新しい。今回スライドで、CGにより制作された“江戸城のある都心の風景”を拝見したが、現代都市東京に趣と気品を添える景色となっている。

「今こそ江戸城天守の再建を!」

本講演を拝聴した会員のなかには、その趣旨に賛同して早速会員になった方もだいぶおられるようだ。

懇親会

講演終了後、同大学内のレストラン・松柏軒で講師を囲んで懇親会を開催しました。松柏軒は伊達正宗の下屋敷として築かれ、元禄年間には徳川光圀が訪れた際にこの名を付けたという由来があり、また大正時代には孫文がここに身を寄せ、同志たちと中国革命の謀議をしたという場所。

その名を受け継ぐレストランで、歴史好きの会員たちが次々に講師への質問をし、また、おいしい料理に舌鼓をうちながら会員同士の交流を深めました。会員で同大の金田雅代教授によれば「参加者の年齢構成を考慮して作ったメニュー」という料理は、和のテーストもふんだんに盛り込んであり、たいへん好評でした。

                                                                  (記・荒垣さやこ)




2014/01/27 東京岐阜県人会幹事会新年会について

開催日時 平成26年1月22日(水) 18:00から20:30まで

場所   千代田区丸の内 東京海上日動ビル24階談話室

1.会長挨拶

2.来賓竹中総務省人事政策課長挨拶

3.幹事長挨拶

4.新幹事の紹介と挨拶

5.平成25年の総会懇親会の振り返りについて

6.平成26年の総会懇親会について

  平成26年11月20日(木)にホテルグランドパレスで開催の方向で今後調整

7.平成26年の夏の講演会について

  平成26年7月12日(土)に開催を予定しているが、講師、場所、具体的な時間などは今後調整

8.各常任委員会委員長からの報告について

27名の方が出席して、白熱した意見交換が行われた。

また上記次第終了後は、宴席で親睦を深めた。



東京岐阜県人会幹事会新年会1 東京岐阜県人会幹事会新年会2 東京岐阜県人会幹事会新年会3
<東京岐阜県人会幹事会新年会>

2012/11/04 平成24年度 総会・懇親会報告

さる11月2日(金)午後6時より東京ガーデンパレスにおいて東京岐阜県人会110周年記念総会懇親会

が開催されました。

総会では立川敬二会長の挨拶の後、事業報告・決算、事業計画・予算、役員の改選が承認されました。

引続いての懇親会には、古田肇岐阜県知事、駒田誠岐阜県議会議長、県選出国会議員、地元市町村長

など多くの来賓をお迎えし、計250名程の来賓・会員が集い、ふるさと岐阜への思いを馳せました。

メインゲストは岐阜県出身の演歌歌手石原詢子さん、まじかで歌謡ショウも楽しみました。

総会・懇親会報告
<懇親会の模様>

活動報告インデックス



2012/08/30 広報委員会活動報告new

広報委員会活動報告

広報委員会では、110周年記念号の編集・発行に取り組みました、

記念号は、質・量ともに普段を凌駕していますのでいつもより

2ヶ月ほど前に取り掛かりましたが、結局ぎりぎりまで心配させられました。

WEB部会では、

〝きずなプロジェクト〟を展開中で掲載者を募集しています。!!

「きずなプロジェクト」とは、会員の皆様のPRページです。

会員相互の連携、交流のお手伝いができればと考えています。

掲載は無料ですので是非お申し込みください。ホームページから

簡単にお申し込みいただけます。

お申し込みはコチラ → 岐阜きずなプロジェクト

2011/07/09 ゆかた祭り in 清水とき きものアカデミア

ゆかた祭り1

清水とき先生の「夏祭りゆかたの祭典」に行ってきました。清水とき先生は、創立96周年

を迎える着付け学校「清水学園」の理事長をされていて、とても有名な先生です。

私は、3歳から日本舞踊を習っていたのですが、上手に着物が着られない情けない

女性です。小さいころから着物に触れ合ってきていて、着物も大好きなのですが、

何故か着こなせない。今回、とき先生の浴衣を貸していただいて、お弟子さん

に着せていただきました。当日は、本当に暑い日で「浴衣って暑いのかなぁ~」

と思っていましたが、着てみると涼しくて一気にさわやかなきもちになりました。

1枚のワンピースよりも、涼しいほどでした。

また、私が今回とても感動したのは、とき先生の学園の、博物館です。

菱川師宣など有名な絵師が書いた肉筆の浮世絵がとてもたくさんあり、おきものの

歴史が本当にわかりやすく展示されていまして、しってるようで知らないきものの

歴史を知ることができました。

ゆかた祭り2

とき先生のところにある浮世絵は、版画でなくて肉筆だそうです。

とても珍しく、価値 あるものだそうです。先生のお品のよさ、さらに

私のような者にまで優しくしていただけて、次回はアメリカ人の主人と、

またお邪魔したいと思っています。きものは本当にいいですね。

2010/11 /12 平成 22年度 総会・懇親会が開催されました

  • 総会・懇親会
  • 平成22 年 11月12日 千代田区の都市センターホテルにおいて、 東京岐阜県人会 平成22年度総会・懇親会が開催されました。

    平成 22年度総会・懇親会の報告はコチラ

     

     

    2011/02/22 「第1回 HP更新支援会議」 in 岐阜県東京事務所

    「HP支援会」平成23年2月22(火)「第1回 東京岐阜県人会ホームページ更新支援会議」が広報委員会・委員長、神谷氏の呼び掛けによって、招集されました。
    会議は都道府県会館、岐阜県東京事務所にて開かれ、今後の「東京岐阜県人会」ホームページの内容や更新方法、活用方法、さらに、ホームページのあり方について話し合われました。
    会議の参加者は皆、このホームページを基に多くの方に私たちの活動を知ってもらい、みんなで「東京岐阜県人会」を盛り上げていこう!という思いで白熱した議論を戦わせました。この日は決意を新たに会議を終えました。
    これからの「東京岐阜県人会」ホームページ、毎月更新しますので、是非楽しみにしていてください♪

     

    2010年3月24日 「究極の飛騨牛を食べる会」

    「究極の飛騨牛を食べる会」

    平成22年3月24日(水)に親睦委員会の呼びかけにより、「究極の飛騨牛を食べる会」が開催されました。今回お邪魔させていただいたのは恵比寿の「虎の穴」という芸能人御用達の焼肉屋さん。
    究極の飛騨牛は1頭から少ししか取れない部位を中心に堪能しました。お肉は言うまでもなく美味しいのですが、お肉にたどり着くまでのこだわりの前菜の数々も感動ものでした。自家製のマッコリや谷口親睦委員長が持参してくださったワインとの相性もばっちりで、美味しい飲み物と食事、最高のメンバーとの楽しいひとときを過ごしました。
    今回は谷口親睦委員長の顔で究極中の究極をご提供いただきました。県人会のみなさん、「虎の穴」に行かれる時は谷口親睦委員長にご一報を(笑)

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    2009年11月12日 参加者210名 都市センターホテルにて

    今年も予定どおり、東京岐阜県人会の平成21年度総会・懇親会が、千代田区平河町の都市センターホテルで総勢210人の参加を得て賑やかに催されました。
    総会では、幹事長から、加藤会長が掲げられている「組織面の強化」、「財政収支の健全化」がいずれも着実に実行されていることが報告され、提出議案も満場一致で原案通り可決承認されました。
    そのあと、場所を移して懇親会が行われました。
    ゲストには、岐阜県選出の国会議員、岐阜県知事のほか、県会議長、岐阜県下各市町村長が招かれました。
    また、「ぎふ清流国体・ぎふ清流大会」のマスコットキャラクター“ミナモ”と「全国豊かな海づくり大会」のマスコットキャラクター “ヤマリン”も登場し、会場を盛り上げ、若い参加者からも大きな拍手を受けていました。
    例年どおりビュッフェ形式で行われたパーティーでは、飛騨牛のステーキや五平餅、みたらし団子などの郷土料理のほか、県内各地の地酒などがふるまわれました。
    今年のパーティーには、いろいろと工夫を凝らした演出が各所に見られましたが、圧巻は「郡上おどり保存会」の面々の飛び入り参加による「郡上おどり」でした。会場一杯に郡上おどりの輪が広がって、参加された皆様や古田岐阜県知事も加わり、巧い下手を問わず老若男女一体となって楽しく踊りあかしました。
    来年は、どのような演出があるのかどうか、今から待ち遠しいですね!

    平成21年度総会・懇親会の報告はコチラ

    日時:2011年11月11日(金)
    場所:都市センターホテル
    ※場所は変更になる場合があります。

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